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2026.10.06

ブラックエプロン対策|コーヒーの歴史を年表で整理【カルディから世界へ】

エチオピアのコーヒーチェリーから、港の交易、コーヒーハウス、世界の栽培地へ広がる歴史のイラスト

この記事でわかること

  • カルディの伝説と、コーヒー発祥の地・エチオピア
  • イエメンからヨーロッパへ、飲む文化が広がった流れ
  • コーヒーハウスと「ペニー大学」の意味
  • 種や木が運ばれ、栽培地が世界へ広がった背景
  • 年号・人物・場所を結び付けて、歴史を楽しむ見方

筆者が把握している近年の出題傾向では、歴史問題は以前ほど多くありません。この記事は、試験のために年号を丸暗記するよりも、コーヒーの背景を知る読み物として活用してください。豆知識を蓄えると、いつもの一杯や産地の名前を、少し違った視点で楽しめます。

今年度の出題内容を保証するものではありませんが、この歴史編では、まず物語の流れを楽しむことを大切にしていきましょう。

コーヒーの歴史は「飲む文化」と「栽培」の2本で整理しよう

コーヒーの歴史は、飲み物として広がった流れと、種や木が運ばれて栽培地が広がった流れに分けると整理しやすくなります。

最初に、エチオピアからイエメンへ。その後、コンスタンチノープルやヨーロッパで飲まれるようになり、栽培もアジアやアメリカ大陸へ広がっていきました。

「どこへ」「何が」「何のために」移動したのかを追うと、コーヒーが広がった背景が見えてきます。カップを楽しむ人が増えることと、その土地でコーヒーの木を育てることは、同じ出来事ではありません。

この記事はブラックエプロン学習を目的として、スターバックスのコーヒー知識と公式公開情報を基準に構成しています。一般的なコーヒー業界の説明とは、用語・分類・数値が異なる場合があります。内容が更新される可能性があるため、最新の公式情報も確認してください。

この記事では、スターバックスが紹介する歴史の流れに沿って説明します。カルディの話など、伝説や逸話として伝わるものは、物語として楽しみながら読んでみてください。

シリーズ全体の学び方は、ブラックエプロン試験の勉強法と学習ロードマップで確認できます。

エチオピア、イエメン、コンスタンチノープル、ヨーロッパへコーヒーを飲む文化が広がる流れ

エチオピア|カルディとヤギの伝説

コーヒーの起源をたどる出発点は、エチオピアと、ヤギ飼いのカルディの伝説です。

赤い実を食べたヤギが元気になり、その様子を見たカルディが実に興味を持った、という物語がよく知られています。スターバックスの歴史紹介でも、この話からコーヒーの旅が始まります。

カルディの話は、コーヒーの起源を伝える伝説です。エチオピアがコーヒー発祥の地として知られることと、カルディの物語が歴史的事実かどうかは、分けて考える必要があります。

現在の生産地と歴史をつなげたいときは、ブラックエプロン対策|コーヒーの産地とテロワールも参考にしてください。

イエメン|カフワと港町モカ

エチオピアの次は、紅海を挟んだイエメンです。アラブ商人の交易を通じてコーヒーが伝わり、豆を焙煎して煮出す飲み物が作られるようになりました。

カフワは、焙煎した豆を煮出した飲み物

この飲み物は「カフワ」と呼ばれ、スターバックスの説明では「眠りを防ぐもの」という意味で紹介されています。

カルディの物語に登場するのは赤い実。一方、ここでは焙煎した豆を使って飲むという変化が起きています。エチオピアの実から、イエメンの飲み物へ。私たちが楽しむ一杯につながる変化が見えてきますね。

1536年には、オスマン帝国がイエメンを占領し、コーヒー豆は重要な輸出品となりました。コーヒーを飲む人が増える一方で、栽培を独占しようとする動きも生まれます。

モカは、コーヒーが海を渡る出発点

モカは、イエメンの紅海沿岸にある港町です。18世紀まで、コーヒーの主要な市場拠点でした。

カフェのメニューでも見かける「モカ」という言葉。その背景に港の名前があると思うと、少し印象が変わりますね。

スターバックスで過去に販売されていた「アラビアン モカ サナニ」も、豆が海を渡る際の出発地であるモカ港にちなむ名前です。内陸で栽培された豆にも、輸出港の名前が付くことがあります。

イエメンは、カフワという飲み物と、モカ港からの交易が重なる場所です。飲み方と人の移動の両方から、コーヒーの広がりを見ることができます。

コンスタンチノープル|コーヒーハウス文化が広がる

1555年、オスマン帝国のイエメン総督が、コーヒー豆をコンスタンチノープルへ紹介しました。現在のイスタンブールです。

トプカプ宮殿では、細かく挽いた豆を湯の中でゆっくり加熱する飲み方が発展しました。ジャズベ、またはイブリックと呼ばれる器具を使うトルココーヒーにつながる流れです。

紙フィルターで粉を取り除く飲み方とは異なり、カップに粉が残るのも特徴です。その粉の模様を使ったコーヒー占いも、文化の一つとして伝わっています。

ここでのもう一つのポイントは、コーヒーを飲む場所が、人と交流する場所になったことです。

スターバックスの歴史紹介では、コンスタンチノープルの「カフェ カーネス」を、最初のコーヒーハウスとして取り上げています。人々は飲むだけでなく、会話や音楽、チェスなども楽しみました。

現在のカフェで友人と話したり、一息ついたりするように、コーヒーは一杯の飲み物から、人が集まる文化へ広がっていったのです。

栽培の広がり|飲める豆と、育てられる種は別

飲用のコーヒーが輸出されても、他の地域でそのまま栽培できるとは限りません。

スターバックスの歴史紹介では、栽培の独占を守るため、発芽できる豆の持ち出しが禁じられ、輸出する豆は湯に漬けるか焙煎するようにしていたと説明されています。

つまり、飲むための豆が届くことと、発芽できる種が届くことは別です。この違いから、種や木を運ぶ人物が歴史に登場する理由も分かります。

ババ・ブーダンと7粒の種

17世紀、巡礼者のババ・ブーダンがイエメンから7粒の種を持ち出し、インドへ運んだと伝えられています。持ち出し方などには諸説ありますが、わずか7粒の種が新しい土地での栽培につながるという、印象的な物語です。

この話の中心は、一杯を飲むための豆ではなく、新しい土地で育てるための種を運んだことです。

オランダ人による栽培の広がり

コーヒーの木を手に入れても、どの土地でも同じように育つわけではありません。ヨーロッパ北西部の気候は栽培に向かず、栽培はセイロン、現在のスリランカや、東インド諸島へ広がっていきました。

インドネシア(ジャワ、スマトラ)などの名前が出てくるのは、コーヒーを飲む文化だけでなく、栽培に適した場所を求める動きもあったためです。

産地を学んだときの気候や環境と、歴史がここでつながります。「なぜその土地で栽培されたのか」を考えると、今の生産地にも歴史の背景があることに気付けます。

飲用の豆が運ばれる流れと、発芽できる種や木が運ばれて栽培が広がる流れの違い

ヨーロッパ|都市ごとにコーヒー文化が育つ

ヨーロッパでは、コーヒーハウスの開店と、飲み方の工夫が広がりました。都市ごとに異なるコーヒーの楽しみ方を見てみましょう。

ベネチアとロンドン|交流の場になる

1645年、ベネチアに最初のコーヒーハウスが開店しました。商人が持ち帰ったコーヒーは「カッフェ」として楽しまれ、人との交流の場に根付いていきます。

1652年には、パスクア・ロゼがロンドンに最初のコーヒーハウスを開きました。ロンドンのコーヒーハウスは「ペニー大学」として親しまれます。

ペニー大学は、学校の名前ではありません。1ペニーでコーヒーを楽しみ、新聞を読み、さまざまな人と議論できる場所を表す呼び方です。

ベネチアではくつろぎや会話、ロンドンでは新聞や議論。コーヒーハウスには、一杯を飲む以上の楽しみがあったのですね。

パリとウィーン|飲み方が変わる

1669年、在パリ・トルコ大使のソリアン・アガが、ルイ14世の王宮へコーヒーを紹介しました。1686年には、パリにカフェ プロコップが開店します。

フランスでは、煮出す代わりに、挽いた豆を布袋に入れて熱湯に浸す浸漬式が使われました。ミルクを加える楽しみ方も広がります。

スターバックスの歴史紹介で語られるウィーンのエピソードは、1683年にフランツ・ゲオルグ・コルシツキーが開いた「ブルーボトル」。粉をこし、クリームとハチミツを加える飲み方が紹介されています。

同じコーヒーでも、地域ごとに抽出や加えるものが変わっていったのですね。1721年には、ベルリンにも最初のコーヒーハウスが開店しました。

ベネチア、ロンドン、パリ、ウィーン、ベルリンのコーヒー文化を年号と出来事で整理した年表

アメリカ大陸へ|木の贈り物と、種を運ぶ物語

アメリカ大陸への栽培の広がりは、コーヒーの木や種が海を渡ったことで整理できます。

1714年、アムステルダム市長が、フランス国王ルイ14世にコーヒーの木を贈りました。その木は、パリの王立植物園で育てられます。

その後の物語に登場するのが、ガブリエル・ド・クリューです。王立植物園の若枝をマルティニーク島へ運んだと伝えられ、そこからジャマイカ、キューバ、中央アメリカへと栽培が広がりました。

ブラジルへの広がりでは、フランシスコ・デ・メロ・パリエッタが登場します。フランス領ギアナ総督夫人から、種を隠した花束を受け取り、ブラジルへ持ち帰ったという逸話です。

ド・クリューとマルティニーク、パリエッタとブラジル。こうした逸話は、種や木が人の手で海を渡った様子を想像する入口になります。当時の交易や植民地への移動も、栽培地が広がる背景にありました。

1773年|ボストン茶会事件とコーヒー

ボストン茶会事件は、アメリカでコーヒーを飲む文化が広がる流れに関わる出来事です。

1773年、茶に関するイギリスの政策に抗議した人々が、ボストン港へ茶を投棄しました。その後、茶の代わりにコーヒーを飲む動きが広がっていきます。

ここで注目したいのは、1773年が、アメリカに初めてコーヒーが届いた年という意味ではないことです。事件の後にコーヒーを選ぶ人が増えたという、消費・文化の変化に関わる出来事です。

マルティニークやブラジルの話は「栽培」、ボストン茶会事件は「飲む文化」。同じアメリカ大陸の話でも、コーヒーとの関わり方が異なります。

年表でたどるコーヒーの歴史

年表は、すべての年号を暗記するためのものではありません。気になる都市や人物が登場した時代を、読み返すときの目印として使ってください。

時期・年場所主な出来事
起源の伝説エチオピアカルディとヤギ
1536年イエメンオスマン帝国が占領。コーヒーが重要な輸出品になる
1555年コンスタンチノープルイエメン総督がコーヒーを紹介
17世紀イエメン→インドババ・ブーダンと7粒の種の伝承
1645年ベネチアコーヒーハウスが開店
1652年ロンドンパスクア・ロゼがコーヒーハウスを開店
1669年パリソリアン・アガがルイ14世の王宮へ紹介
1683年ウィーンブルーボトルの開店として紹介される出来事
1686年パリカフェ プロコップが開店
1714年アムステルダム→パリルイ14世へのコーヒーの木の贈り物
1721年ベルリンコーヒーハウスが開店
1773年ボストンボストン茶会事件

気になる出来事があれば、前後の時代にも目を向けてみてください。カルディの伝説には、確定した発見年を付けていません。

歴史を読むときに区別したいこと

  • 発祥の地と輸出港は別:エチオピアは発祥の地、モカはイエメンの港町です。
  • 都市の呼び名を整理する:コンスタンチノープルは現在のイスタンブールです。
  • 伝説と年表を分ける:カルディの話を、確定した人物・年代として扱わないようにします。
  • 飲用と栽培を分ける:飲むための豆の流通と、発芽できる種・木の移動は別です。
  • ペニー大学は学校ではない:コーヒーハウスの交流や議論の役割を表す呼び方です。
  • ボストン茶会事件は初到来ではない:コーヒーを飲む文化が広がるきっかけとして整理します。

「7粒の種がインドへ」「若枝がマルティニークへ」。人物の名前だけでなく、何を運んだのかに目を向けると、コーヒーの旅を想像しやすくなります。

理解度チェック

ここからの5問は、読み物の内容を振り返るための問題です。試験の予想問題ではないので、本文や年表を見ながら気軽に確かめてみてください。

第1問:起源と交易の拠点

「カルディの伝説」と「モカ港」を、それぞれエチオピア・イエメンのどちらに結び付けますか?

第2問:飲用と栽培の違い

焙煎したコーヒー豆が輸出されることと、発芽できる種が運ばれることでは、新しい土地での栽培にとって何が違いますか?

第3問:出来事の順番

次の3つを古い順に並べてください。

  • ボストン茶会事件
  • ルイ14世へのコーヒーの木の贈り物
  • ロンドンの最初のコーヒーハウスの開店

第4問:ペニー大学の意味

「ペニー大学は、コーヒー栽培を専門に教える学校だった」という説明は適切ですか?理由も考えてみましょう。

第5問:人物と行き先

ババ・ブーダン、ガブリエル・ド・クリュー、パリエッタを、インド・マルティニーク・ブラジルとそれぞれ結び付けてください。

理解度チェックの答えと解説

第1問の答え

カルディの伝説はエチオピア、モカ港はイエメンです。

コーヒーの起源を伝える物語と、豆を輸出する港の役割を分けて整理します。

第2問の答え

栽培には、育てられる種や木が必要です。

焙煎した豆が届けば飲み物として楽しめますが、そのことだけで新しい土地に栽培が広がるわけではありません。

第3問の答え

ロンドンの開店(1652年)→木の贈り物(1714年)→ボストン茶会事件(1773年)です。

コーヒーハウスの普及、木の移動、飲む文化の変化という、出来事の内容も一緒に確認しましょう。

第4問の答え

適切ではありません。コーヒーハウスを表す呼び方です。

1ペニーでコーヒーや新聞、議論を楽しめる場として親しまれたことから、ペニー大学と呼ばれました。

第5問の答え

ババ・ブーダン=インド、ド・クリュー=マルティニーク、パリエッタ=ブラジルです。

いずれも、栽培の広がりにつながる物語の登場人物です。それぞれの土地へ種や木が運ばれた話として、読み返してみてください。

まとめ|一杯の文化と、木の旅をつなげよう

コーヒーの歴史は、エチオピアからイエメンへ、そしてヨーロッパや世界へとつながっていきます。

この歴史編は、頻出事項を詰め込むためというより、コーヒーの豆知識を増やし、一杯を楽しむ背景を知るための読み物です。印象に残った物語を一つ持ち帰ってもらえれば十分です。

  • エチオピアには、カルディとヤギの伝説がある
  • イエメンでは、カフワという飲み物とモカ港からの交易が広がった
  • コーヒーハウスは、人が集まり交流する場所になった
  • 種や木を運ぶ人々が、新しい土地での栽培につながった
  • ボストン茶会事件は、コーヒーを選ぶ文化の変化に関わった

次に一杯を飲むときは、その豆の産地が歴史のどの場面に登場したか、思い出してみてください。地名と物語が目の前のコーヒーにつながると、いつもの一杯に新しい楽しみが加わります。

ブラックエプロンの勉強を進めたい方は、ブラックエプロン試験の勉強法と学習ロードマップへ。シリーズ全体の流れを見ながら、次に読みたいテーマを選んでみてください。

参考にした公式情報

筆者:REIYA / 元スタバ・ブラックエプロン

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